傾聴の目的と手段

日本の各地で、「傾聴ボランティア」という言葉を耳にするようになりました。
私は主に、高齢者施設で傾聴ボランティアをしています。
活動し始めて10年以上にもなるので、時々「ちゃんとした傾聴ができませんでした」、「傾聴らしい感じではなく、単に話し相手になっただけでした」という言葉を聞きます。
「傾聴」の捉え方は、人様々で解釈に難しいところがありますが、自分は、何のために「傾聴」をするのか?という「自分の目的」をしっかり考えた上で活動すると、スムーズにできるように思います。
それは、自分が傾聴しに行くのか? 相手が元気になるために自分が行くのか?という「傾聴」が目的か手段か、という話になります。

自分が「傾聴」するために「傾聴」に行く、つまり「傾聴」することを目的とする人は、一般的な世間話のような会話は不満に思うでしょう。
では、「傾聴」を手段の一つとして捉える人は、何が目的となるのでしょう。それは、「相手が元気になること」です。
1時間傾聴して終了したところで、「今日は喜んで頂けたかな」「穏やかな嬉しそうな顔してたかな」とすぐにわかりますから、「相手が元気になる」という目的を持てば、1回1回の活動に張りが出ます。

私は相手が元気になるためなら、傾聴にこだわらず何でもします。歌を歌う、歌に合わせて手足を動かす、軽い運動をする、本を読み聞かせる、俳句や短歌を詠んでみる、等々、コミュニケーションを取る方法はいろいろあります。

いくら傾聴ボランティアだからと言って、初めてあった方に、人はいきなり「心の深い問題」を話したりしません。
時間をかけて信頼を得て初めて、人は悩みを打ち明けてみようと思うものです。
その信頼を得るまでの期間は、話し相手のような傾聴のような「傾聴的話し相手」となることでしょう。

自分は何のために「傾聴」をするのか?という自分の目的をいつも忘れずに活動する事が、長く続けるためにも気持ちがぶれないためにも、とても大事な事だと思います。

「イメージを持つ事の重要性」について〜イメージトレーニング〜

<イメージトレーニングの具体的な方法とは?>
 私は普段施設へ向かう道のりも、その日に行うセッションの内容をイメージしながら行きます。大きなコンサートの前には1週間ぐらい前からイメージトレーニングに明け暮れ、気持ちの上でもモチベーションを下げないように、あまり人にもお会いしなくなります。
 衣装をまとって中央に立った本番そのままの自分の姿をイメージし、何度も本番の出だしを思い浮かべ、コンサートの当日の流れを考えていきます。イメージするところは、全体の流れや途中のところよりも、出だしのイメージトレーニングが非常に大事になります。そうして何度もイメージトレーニングを重ねていると、実際にコンサート当日は1回しかないはずなのに、もう何度も経験してるような気分になってきます。その「慣れる」感覚が、気持ちに余裕を持たせてくれます。イメージを持つだけで「その場に」慣れてくるのです。しっかりとイメージトレーニングができていると、人前に出て上がったりしません。そしてその時の条件は、「明るく成功した最高のもの」をイメージし、「そこに自分を置く」事です。コンサートでもスピーチでも何かの発表でも同じです。
 自信がないと思っている方や、人前で緊張してしまうという方は、是非試してみて下さい。イメージトレーニングは「思い」「心」だけの世界ですから、一人の時に勝手にできます。私は施設で時々、イメージトレーニングとして「快晴の空、ポカポカと暖かい日ですよ。富士山の頂上に登って、美味しい空気をいっぱいに吸いましょう!」と言って、座ったまま足踏みをして深呼吸をすることがあります。その後の皆さんのお顔は、実際に登った時のように頬がピンクに染まり明るくなってきます。血液検査などはしませんが、体内の血流が良くなってると信じてやっています。
 茂木健一郎氏は、「イメージトレーニング」がいかに脳を刺激して、身体を活性化させるか、を語っています。何の道具も必要なく、すぐにできるイメージトレーニングは想像以上に、元気になれる効果があると思います。